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1.17



1995年1月17日。
当時は、まだ緊急地震速報が流れることもなく、インターネットは愚か家庭にパソコンは一部を除きほぼ皆無、もちろん携帯電話なんてものもありません。
やっとポケベルを一般人が持ちだしたのがこの頃だったように思います。

ダイヤル式の電話は受話器を上げてもつながらないどころか、なぜか無音。
我が家は震源地から少し離れた京都ですから、ライフラインは無事でしたので、情報源はテレビでした。

祖父母や親戚が多数住んでいた兵庫県神戸市では、電話どころか電気水道ガス全滅。
情報は皆無で、余震と至る所で起こった火事に怯えながら、家を片付けたり避難したり知り合いを探したり。

とにかく情報がゼロなのが、本当に大変だったと皆口をそろえていまだに言っています。
しかしそれはまだマシな方で、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名の大惨事でした。

18年が経ちました。
学生のアルバイト君なんかに聞くと、神戸出身で当時もそこに住んでいたはずの子でさえ、記憶にないそうです。
当時2歳か3歳ですから当然ですが、特に東日本大震災以降、「阪神大震災はたいしたことなかった」と思っている若い子が多く、少々憤っています。

震災発生から何日後か忘れてしまったのですが、数日後に京都から神戸の祖父母宅まで水とか食べ物を背負って向かいました。
大阪まではダイヤに乱れはあるものの電車で。

そこからです。
記憶では西宮北口という阪急電鉄の大きなターミナル駅があるのですが、そこ付近までは行けたと思うんです。
普段30分程度のところを数時間がかりで。
しかし家族間で微妙に記憶が異なり、大阪付近から歩いたはずという意見も。
とにかく、何時間もかかったので、混乱も重なり曖昧です。

今はありませんが、祖父母宅は神戸市の東寄り。
被害の大きかった地域の一つです。
あの光景は一生忘れることはないでしょう。

倒壊した家屋、どこかでまだくすぶる煙、色々な匂いが混ざった埃っぽい空気。
大渋滞、傾いたビル、サイレンの音、けが人、ヘリコプターの音。


↑ちょうどこの映像の場所の近くです。

自衛隊の食料の配給。
笑顔で列に並ぶ祖母。
往復4,5時間かけて大阪の銭湯に行く従兄弟。



今、「被災地」と言うと、東日本です。
まだまだ復興も進んでおらず、原発事故があったこともあり、今後何十年かかって復旧するのか先の見えない状態です。

しかし、阪神地方にも被災地があること、多くの人が犠牲になったことを忘れないでいただきたい。
また、地震国日本では今後も同じような、若しくはもっと深刻な災害が起こる可能性は非常に高いでしょう。
是非ともこれらの記憶を留めて、常に災害に対する備えをしていただきたく思います。


↑前述のように、当時は携帯で動画撮影などの文化がまだない時代ですから、貴重な映像です。
1~11まであるようですので、時間のあるときに是非見てください。
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[ 2013/01/17 05:46 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)




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